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「アスチルベはもう枯れない」:ハローアスター

「アスチルベはもう枯れない」:ハローアスター

「第一話:グッバイスイートピー」はこちらよりご覧ください

その夜、三山は深い深い眠りについた。

どこまでも落ちていくような感覚。

決して安らかでもなければ、居心地の悪いものでもない。

後になってその夜を何度思い返しても、その例えようのない感覚は言葉に昇華することはなく、だがしっかりと三山の中に残り続けた。

寝ている自分をもう一人の自分が見下ろしているような、妙な感覚。

日の出とともに身体を起こした三山は、それがまるで自分の身体ではないような軽さを感じた。

いや、より正確に言うのであれば、重さを感じなかった。

物質にあるべき、備わっていて然るべき質量が抜け落ちたような、そんな奇妙な感覚で満ちている。

しかし、その軽さは三山をどこまでも運んでいくかのような、希望に満ちた軽さであり、身を委ねながらも重力に逆らうようにそっと身体を起こす。

薄緑色のカーテンを開けると、水彩画のような淡い橙色が街を覆っていた。

ビルや車がその光を乱反射し、三山の全身を朱く染める。

その圧倒的な存在は、彼の覚醒を歓迎しているようであり、それはあまりに僥倖とも思えたし、あまりに無責任にも思えた。

八分前に放たれた太陽の光が、八分後の三山を照らし、その背後の部屋全体を包み込む。

部屋は眩いほどの朱色に染め上げられ、前衛的なアート作品のようである。

裾のほつれた部屋着を脱ぎ捨て、ワイシャツを羽織り、ネクタイを締め、叔父から就職祝いに貰ったタグホイヤーの腕時計をつける。

細身の三山の腕にはやや大きく、中学一年生が親の思惑でワンサイズ大きな学生服を強制的に着せられているようなちぐはぐさがあって、つける度に自分にこの時計は似合わないと思う。

それでもこの時計をつけるのは、義理とか人情、むしろ人助けに近いのだと、割り切っているからである。

今日は移動距離が長いため、新品の革靴には目もくれず、履き慣れた深い茶色の革靴に足を通す。

今日はマンション購入を検討しているお客様を案内するという、いわゆる物件見学の仕事があり、1件目が品川、2件目が西早稲田、3件目が豊洲と、まさに東京横断の大移動である。

三山の所属する会社は、まだ創業間も無く、人数も足りていないため、担当エリアを決めてそこだけ周るという、贅沢なことはまだ出来ない。

とは言うものの、知らない土地のどこか心許ない感覚が嫌いではない三山にとって、様々な土地を駆けずり回るこの生活は、靴擦れこそすれ、楽しいものだった。

玄関を出てエレベーターに乗り込む。

このマンションのエレベーターは骨董品の如き古風な外見と、聞くものすべてを不安にさせるギコギコという機械音を奏でる。

しかもかなり遅い。

どこにもぶつけようのない怒りは、いつも宙を舞い、その床や壁に染み付いていく。

エントランスを出て、マンションの外観を特に意味もなく、しげしげと見つめる。

このマンションに住み始めて二年の月日が過ぎたが、こうやって意識的にマンションを見上げたのは初めてのことかもしれない。

普段、様々なマンションを見ている三山にとって、比べるまでもなく貧相なその建物は、自分に似合っている気がして、同情にも似た愛情を感じた。

不動産業界に飛び込んでからの二ヶ月間で、三山はすっかり不動産に惚れ込んだ。

家という人工的な箱に、実に様々な種類が用途が歴史があることを知り、その魅力にのめり込んでいった。

外観の素晴らしいマンションが、いざ中に入ってみると拍子抜け、その逆もよく起こり得た。

戦後に乱立したマンションと、対比的に減っていく人口。

行き場を失った箱はどこか淋しそうに、しかし不動産という名に恥じぬ不動ぶりで、移りゆく世界を孤独に見守ってきた。

図面の『空室』という文字を見る度に、機能を失ったその箱に同情し、雨など降った日には、一層淋しげに三山の目に映るのであった。

新人の三山に未だに違和感として留まり続けるのは、こんなにも高額な商品にも関わらず、その取引方法はかなり原始的であり、客観的データはごく僅かで、意思決定の大部分を自らの目を信じるしかないという、取引そのものの不透明性であった。

まるで家電製品を買うような気軽さで、不動産営業マンは顧客に『買うか買わないか』を迫るのである。

何のデータがあれば納得するかすら分からぬまま、なし崩し的に契約してしまう人も未だに多いと聞く。

そんな業界に一石を投ずるべく、三山の属する会社は産声をあげ、果敢に一石を投じ続けている。

舞台が整い、賽の投げられたこの状況に、三山はじりじりと興奮し、一蓮托生も辞さない覚悟で臨んでいるつもりだ。

最寄りの不動前駅から東急目黒線に乗り込み、その熱気に息苦しさを感じながら、今日案内する物件の図面を鞄から取り出す。

三山は極端に心配性であり、こと心配性において三山の右に出る者とは、かつて一人も出会った試しがない。

血眼になって準備をし、瑣末なことにも余念のない彼だが、安心して臨めたことは一度たりともない。

成功の青写真を描けず、唯一描けるのは後手に回って慌てふためく自分の姿だった。

そんな彼を、周囲は真面目だ誠実だと評価するものの、彼にとってその評価こそ耐え難く恥ずかしいものであり、いつもぎこちなく憫笑するしかなかった。

本日も、恐らく出番のないであろう資料を押し込まれた結果、初任給で購入した鞄が悲鳴をあげている。

品川駅に到着すると、土曜日の品川に似つかわしく、キャリーバッグをひいた人々でホームはごった返していた。

楽しい旅行に向かうはずの彼らも、流石にこの人混みにはうんざりしているらしく、乱暴にキャリーバッグをひき、あちらこちらにぶつけながら通り過ぎる姿は、雄々しくもあり、残酷にも見えた。

行き先も目的も違う人々が律儀に一列に並び、エスカレーターに乗って運ばれてゆく。

この風景を見るたびに、以前テレビで見た、パン工場のベルトコンベアに乗せられた大量のパンを連想し、その度に無性にパンが食べたくなるから堪ったものではない。

品川駅の港南口を抜けると、先ほどまでの喧騒は徐々に薄れてゆき、開放感を全身で味わうことができる。

微かに潮っぽい香りが鼻腔をかすめ、あらためて品川が東京湾に限りなく近いことを思い知る。

商業施設があり、オフィス街があり、新幹線が止まるこの街で、潮の香りすらも楽しむことができるとは。

近年、再開発の進む品川・田町のエリアは、マンション購入の相談も多く寄せられる人気の街であり、ここに来る度に否が応でも納得する。

約束の三十分前にマンションに到着したが、これも例のごとく心配性が故の芸当であり、むしろ入社した当初は一時間前に到着することもざらにあったが、さすがにそれでは時間が勿体無いと、上司から子供を諭すように言われて以来、早すぎる到着は自重しているが、それでも三十分前はどうしても譲れなかった。

これ以上出発を遅らせるのは、精神衛生上よくないと、彼なりの熱量を以って上司に直談判したのが、ちょうど二週間前である。

これから案内する物件は、品川に二年前に竣工したばかりの高級マンションであり、三山も訪問するのは今回が初めてである。

あらゆる広告媒体を使った末に、広く認知されるに至った物件だが、どうやら当初の想定よりも買い手がつかなかったらしく、販売会社の息巻いた表情と緊張で強張った表情が目に浮かぶ。

あらゆる思惑を纏ったマンションは、少し濁ったような輝きを放ち、不敵に街を見下ろしている。

建物の周りをぐるっと一周回ったところで、エントランスにある高級感漂うソファに腰を下ろす。

時刻は十時三十七分。

あらためて図面に視線を落とす。

スポーツジムにクッキングスタジオ、お酒も嗜めるラウンジにシアタールームまであるときた。

さらに、一階部分には大型スーパーと書店まで併設されている。

まさに一つの国家が形成されていると言っても過言ではない。

エントランスには、不自然なまでに人工的な赤みを放つ薔薇が飾られており、来客を妖艶に迎え入れる。

あまりに似つかわしくない来客である三山は、住民とすれ違う度に赤面し、用もなくパソコンを開いてキーボードを必要以上に強く叩くことで、何とか自尊心を保っているといった具合だ。

時刻は十時四十八分。

愛する男の帰りを待つ淑女のように、あるいは主人を待ち続ける忠犬のように、入り口から目を離さない三山は、気味の悪いオブジェとなり、景観を損ねかねない危うい男であった。

時刻は十時五十六分。

ふっと小さく息を吐く。

ネクタイを締め直したところでプロローグは終わり、彼の一日が幕を開ける。

第三話:ロンリークローバー

著者について

コンサルティングセールス谷鴻佑
仲介手数料最大無料の中古マンションWEBサービス「カウル」にて、中古マンションの購入・売却のコンサルティング営業を担当。
不動産に関する広範囲な知識を元に、分かりやすい情報提供と、お客様とって最高の家探し、マンション売却のお手伝いをしています。

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