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【多摩ニュータウン】かつての夢の町、衰退の真実とは?

【多摩ニュータウン】かつての夢の町、衰退の真実とは?

多摩ニュータウンは1970年代に開発された、いわゆる郊外型ニュータウンの先駆けであり、同時に最大規模のニュータウンとなっています。都心の住宅不足を解消するために開発されたこの多摩ニュータウンですが、脚光を浴び多くの若い世帯がこぞって入居していたのも今は昔、人口は20万人以上を数えながらも徐々に流出が始まっており、その魅力は失われつつあります。

多摩ニュータウンが現在のような、廃れたニュータウンになってしまったのはどんな原因があるのでしょうか。

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建物の老朽化が進行し、若い世帯のニーズに耐えられない

多摩ニュータウンへの入居が開始されたのは1971年、昭和46年です。当時建てられたマンションはすでに築45年を経過しており、構造を見ても設備を見ても老朽化が進み、エレベーターがないなど不便な面も大きいものになっています。

さらに画一的な間取りのマンションばかりであったので、大きなマンションに住みたい、またはリフォームして住みたいと言った若者の需要に応えることが難しく、建物の外観の古さとあいまって、若い子育て世帯にとっては、全く魅力のない物件と化していっているのです。建物の耐久性に問題がなくても、住居としての競争力がなくなったことで、建て替えられるマンションはよくあります。元々高級マンションとして建てられていない多摩ニュータウンのマンションは、住みづらく不便さしか感じられないものになっているのです。

住人の新陳代謝が進んでいなかった

1971年に入居がスタートした際には、多摩ニュータウンには20代の若者が多く住んでいました。しかし45年を経過し、その世代も定年退職を迎える人が多く、子どもたちも独立しています。70歳前後の人が住み替えを行うことも難しく、ずっと住人が入れ替わらずに、固定化しているのが現状です。

若い世代が定期的に入居をしていたような地域ならば、子どもも増え活気もあり、店なども増えるのですが、高齢者中心になると、消費も増えなくなるので、店も撤退し地域全体の活気が落ちます。

坂道が多く高齢者には向いていない

そんな多摩ニュータウンですが、文字の通り多摩の山中を切り開いて開発された住宅地になっています。緑や自然が多いと言えば聞こえが良いのですがどうしても山地に囲まれているので、坂道が多くなり、移動も車やバスがないと不便になります。

自転車での移動も上り坂が多い場所では困難を極めるでしょう。多摩ニュータウンだけではなく聖蹟桜ヶ丘でも問題になっていますが、坂道が多く歩く距離も長いことは、主な住人である高齢者にとっても大変住みづらい環境と言えます。

インターネット通販の進歩により家にいながら買い物できる環境は整備されつつありますが、やはり生鮮食品など毎日の買い物は近隣の商店やスーパーで行う人が大半です。そんな毎日の買い物に不便なことも人気の低下の一因と言えるでしょう。

都心への回帰傾向が進行している

多摩ニュータウンは主に京王線沿いにあり、新宿への通勤は1本で行ける環境です。しかし、より新宿など都心に近い地域の人口が増えたこともあって、京王線の輸送力にも限界が見えてきています。

京王線は朝の通勤時間に特急を走らせることができないので、多摩ニュータウンの約1時間弱という新宿への通勤時間がネックになっているという見方もあります。またこの地域に若者を呼び込んでいた、郊外型大学も都心への回帰傾向が見られたこともあり、若者が減る一員になっています。

若葉台や南大沢などの開発は進んでいる

一方で全てが悪い傾向にあるわけでもありません。23区内の地価高騰に伴い、よりリーズナブルで生活しやすい地域を求めて京王線沿線でも商業施設の開発は進行しています。駅前に大型ショッピングセンターのある若葉台駅や南大沢駅付近などは、現在人口が増加しており、若い世帯も住むようになっています。

マンションも続々と建てられていて、戸建てに住みたい人、駅近くのマンションに住みたい人、両方のニーズに応える環境になっているのです。永山や多摩センターの人気が落ちる一方で、より若者のニーズに対応できるタイプの住宅地が開発されているのです。

まとめ

多摩ニュータウンの人気の低下は、多摩センターや永山周辺のマンションの老朽化及び、住人の高齢化が大きな原因となっています。一方で周辺エリアでは開発も進行しており、多摩地域全体で見ればまだまだ活気が生まれる要素もあるようです。

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