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東京の地名から探る!江戸の人々の暮らし

東京の地名から探る!江戸の人々の暮らし

東京の地名の由来をたどっていくと、昔のお江戸につながります。

東京の地名から、江戸の人々の暮らしをたどってみましょう。

江戸は江戸城を中心に造られた新しい街

徳川家康が天下を取り、征夷大将軍となって今の東京に江戸幕府を開きました。江戸という地名は鎌倉幕府の頃には歴史書などに記載されており、これは「川の入り口」というような意味だったそうです。

江戸幕府開幕前にもある程度開けてはいたようですが、1603年から1867年まで15代に渡り世襲で徳川幕府が続いたことで江戸の街は大きく発展しました。

江戸の人口は徳川家康が入府した当時は15万人位でしたが、1720年代には武家、町人、地方からの出稼ぎ人など合わせると100万人を越えて、世界一の大都市だったとも言われています。

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町名でわかる江戸城を中心とした武家の暮らし

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江戸城があった今の皇居周辺には、幕府に関係する地名が今も残っています。江戸城周辺は城を守り、何か事が起こった時にすぐ駆けつけられるよう武家屋敷が並んでいました。

江戸城には内堀と外堀があり、簡単に敵が入ってこられないようになっていました。この堀の中側のことを丸の内といい、大手町は本丸大手門に接する町、一番町は将軍を警護する大番組の一番組が住んでいたエリアで、当時は六番組の六番町までありました。

赤坂見附の見附は、外敵から城を守るために造られた警備のための城門のことをいいます。江戸城には36の見附が存在しており、その名残が赤坂見附です。

御徒町(おかちまち)は御徒(おかち)と呼ぶれる、馬には乗れず歩いて付き従う下級武士たちが住んだ街で、目黒区の鷹番は、将軍が鷹狩をするための鷹場があり、その世話をする役人たちがいたことから付けられています。三鷹市の三鷹も、やはり将軍の鷹場があったことから付けられました。

今の銀座は江戸幕府が銀貨の鋳造所を置いたことからその地名が付きました。

また、金座もあり、こちらは金の鋳造をしていた場所で、現在この金座跡地には日本銀行が建っています。

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町人の職業が由来となった町名

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町人、つまり士農工商の工と商にあたる職業を持つ人たちは、今の千代田区、中央区、台東区に暮らしていました。

大店や小さな店が並び大賑わいの表通りを一歩入ると、庶民が暮らす長屋が建ち並んでいました。江戸の人口の半分を占める町人でしたが、江戸の土地の2割程の場所に押し込まれるようにして暮らしていました。この密集した暮らしからよく火事が起き、「火事と喧嘩は江戸の花」などと言われました。

その地域に住んでいた人々の職業は、地名を見るとわかります。日本橋人形町は人形師が多く住んでいました。神田紺屋町は藍染職人が多く住んでおり、日本橋本石町は米を扱う米穀商が集まっていました。

また、日本橋馬喰町(ばくろちょう)は東北方面へ向かう奥州街道の起点で馬市が開かれ、馬の売買を行う人々が集まっていたことから付けられました。

農民の住まいは江戸郊外に

農民はさらに遠く、江戸郊外に住んでいました。ところで、江戸の範囲ってどこまでなのでしょうか?

実は江戸の範囲は当時も曖昧だったため、江戸幕府が統一見解を示すために1818年「江戸朱引図」という地図を作成し、赤く囲まれたところを江戸としました。

それによると北は上板橋、王子、千住大橋あたりまで、東は荒川の手前まで、西は東中野まで、南は代々木上原、目黒、大井町あたりまでをぐるっと囲んだエリアが江戸と規定されました。

さて、皆さんお住まいのエリアは江戸でしたか?江戸郊外でしたか?

まとめ

今の東京の地名の由来を調べると、江戸の人々の暮らしが垣間見えましたね。皆さんお住まいの場所の地名も、由来を調べると意外な歴史がわかるかもしれませんね。

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