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都民なら知っていて当然!?知らないと恥ずかしい東京の土地の歴史

都民なら知っていて当然!?知らないと恥ずかしい東京の土地の歴史

皆さんは東京の土地が江戸時代には、どのようなところであったかご存知でしょうか?

江戸時代とは、徳川家康が征夷大将軍に任じられた1603年3月24日より始まり、15代将軍、徳川慶喜が大政奉還を行う1867年11月9日まで、264年間続きました。

今回は、その頃から明治時代までの東京の土地の歴史を探ってみました。

東京湾の埋め立ては江戸時代から始まっていた

東京湾の埋め立ては徳川家康の江戸入府(1590年)から始まりました。当時の江戸は広大な武蔵野の一寒村に過ぎず、入り江が深く入り込み低湿地が広がる、現在の東京からは想像もできなないような所だったと思われます。

江戸城の東側は海に面していたため、江戸城の築城工事に伴う堀の堀削土で埋め立てが行われたのが、今の丸の内、八重洲地域です。

1603年からは江戸城の北側の台地を切り崩し、日々谷入り江の南部一帯が埋め立てられました。今の日本橋、京橋、新橋、築地地区です。

大まかに言えば、現在の国道15号線が昔の海岸線であったということです。

その後も江戸湾の埋め立ては続き、大都市と化した江戸の町から出る生活ゴミを集めて埋め立てたそうです。

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江戸城下町の構成

江戸以前の戦国時代は、武士も農民も農村に住んで、自分たちの土地を一緒に守っていました。

秀吉の時代から兵農分離が進められていましたが、江戸時代では武士と農民の明確な区分や、「士農工商」という身分的な制度も完成し、また幕藩体制も完成されたため、武士は城の周囲に集められるようになりました。

このためお城の周囲のほとんどが武家地で、その割合は江戸の60%に当たります。

町人地は「士農工商」の工商である町人が暮らしていました。町人地は現在の中央区、千代田区、台東区の一部などの限られた範囲に集中していて、江戸の約20%に満たない土地でした。

江戸時代の人口は、8代将軍徳川吉宗の享保年間(1716年~1735年)には、町方が約50万人、武家方が約50万人、僧侶が3~4万人と推定されています。

この数字から推測しても、江戸の約20%の土地に50%の人々が密集して暮らしていたことになります。

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江戸とは、どこまでが江戸なの?

「御府内」と呼ばれる、江戸の町とはいったい何処までなのでしょうか?

当時も解釈がまちまちで、決まった境界があるわけではなかったようです。しかし文政元年(1818年)に、目付け牧助右衛門から「御府内外境筋之儀」についての伺いが出されたことを機に、評定所で入念な評議が行われ、老中阿部正精から幕府の正式見解が示されました。

「御府内」の範囲とは現在の行政区画でいえば次のようになります。

千代田区、中央区、港区、新宿区、文京区、台東区、墨田区、江東区、品川区の一部、目黒区の一部、渋谷区、豊島区、北区の一部、板橋区の一部、練馬区の一部、荒川区となります。

明治時代の丸の内

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明治元年、明治天皇が江戸城東幸から、江戸から東京に改称され、「廃藩置県」によって「東京府」となりました。

丸の内は大きな大名屋敷が広がっていた地域ですが、明治になってからは大名たちが悉く地元に帰ってしまったため、廃屋の広がる荒涼たる土地になってしまいました。その後、皇居を守るための兵舎として武家屋敷が使用されたようです。

明治7年に、明治4年にできた警保寮が東京警視庁となり、八重洲には監獄が、大審院の庁舎も明治10年に完成します。

しかし、大蔵省分析所(煉瓦造り)意外は全て木造の粗末な建物で、荒野にぽつんと建っているような状態です。昼間でも追い剥ぎが出ると言われていました。

ほんの140年前の東京丸の内が、昼間でも追い剥ぎが出るような荒涼たる土地であったなんて、誰が想像できるでしょうか?

明治21年ごろ、陸軍は木造兵舎の老朽化により、麻布に煉瓦造りの新兵舎を建造するにあたり、丸の内の兵舎跡地を売却することになり、明治23年に海運事業で好調だった三菱が分割払いで購入しました。

当時のお金で150万円だったそうです。しかし、誰もがその無謀さに驚いたということです。

軍の施設が次々と移転していき、一帯は原野と化し、「三菱が原」と呼ばれるようになりました。

明治27年、東京府庁舎が完成し、三菱第1号館が建設され、その後2号館、3号館が次々と建設されました。

明治36年、日々谷公園が開園されますが、まだ周囲は大草原だったということです。

東京駅は明治41年から基礎工事が始まりました。工事を請け負ったのが大林組で、この工事で初めて鉄筋コンクリートを大がかりに使いましたが、かなりの苦労があったということです。

こうして大正3年、東京停車場(東京駅)開業の運びとなりました。

まとめ

現在、巨大なビルが建ち並ぶ丸の内周辺が、400年前は海だったのです!現在のような、機械やコンクリートのない時代、人の力だけで埋め立て工事を行った当時の人々には驚愕です。

しかしそのお陰で世界に誇れる大都市となったのです。今、東京の土地の歴史を顧みて感慨にひたっております。

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著者について

マンションジャーナル編集部KAHARA
住宅ライター。インテリアコーディネーター。日々の生活が素敵になるお家のインテリアやリフォームのコツなどをお伝えします。

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