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三井財閥の所有施設が凄まじすぎる!

三井財閥の所有施設が凄まじすぎる!

今の日本には、もはや“財閥”は存在していません。なのに、何故か三井、住友、三菱などの企業は“財閥系”という言葉で表されることが多いですよね。財閥というフレーズにはある種のノスタルジーがあるのかもしれませんが、その奥には伝統と格式に対する憧れが込められているのではないでしょうか。

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財閥の功績

そもそも明治以降は、財閥が日本の伝統を継承してきた経緯があります。三井、住友、三菱の三大財閥の内、三菱は明治以降ですが三井と住友は明治以前からの大商家。しかし何れの財閥も明治以降に政商として政治に深く関与し、良くも悪くも日本の歴史に大きな影響を与えてきました。

時の権力者と太いパイプを持って膨大な財を築く一方、旧大名家から屋敷を買い取り伝統と格式というステイタスを手に入れました。それが結果的に歴史的な庭園や建造物を今に残す役割を果すことになり、その功績は大きいと言えるでしょう。

今に受け継がれる三井財閥の遺産

綱町三井倶楽部

三井倶楽部2三井倶楽部3 三井倶楽部5 三井倶楽部4三井倶楽部7三井倶楽部6出典:http://tsunamachimitsuiclub.co.jp/structure/

所在地:港区三田2-3-7

今に残る三井財閥の施設として有名なのは、何といっても三井家の迎賓館として建てられた「綱町三井倶楽部」。三井家の賓客接待施設として明治43年(1911)に着工され、大正2年(1913)に「綱町三井別邸」として竣工。設計は鹿鳴館を手がけた英国人建築家のジョサイア・コンドルで、日本の西洋建築史に残る傑作のひとつとされています。

コンドル博士の設計した本館は、英国の伝統的なヴィクトリアンスタイルで左右対称の宮殿造り。約1万坪という広大な敷地の9割に西洋庭園と日本庭園が配され、四季折々の自然が織りなす都心のオアシスになっています。

関東大震災では倒壊を免れて昭和4年に改修され、戦後はGHQに接収されて将校クラブとして使われていました。昭和28年に接収が解除された後は、三井グループの会員制クラブとして復活。竣工から100年以上経った今尚、三井家、そして三井グループや会員会社の迎賓館として利用されています。

本館は会員制クラブで、残念ながら一般には公開されていません。ただ隣接する昭和40年に完成した別館は、一般の人でも利用可能になっているようです。

会員会社は三井グループの他にトヨタ自動車や東芝、IHI、東レなど日本の名だたる大企業。そして利用できるのは会員会社の管理職以上の役職者とOB、それと会員から紹介された人のみ。唯一の例外はウェディングでの利用なのですが、会員の紹介なしで利用できるのは会員会社に務める人だけという制約付きです。

三井本館

1457016661出典:http://www.mitsuifudosan.co.jp/project/special/honkan/outline/index.html

所在地:中央区日本橋室町2-1-1

三井発祥の地である日本橋の越後屋跡に三井財閥の本拠地として建てられ、今尚その偉容を誇り、平成10年に国の重要文化財に指定されています。ちなみに、三井不動産は三井本館の管理室がスタートだったようです。

三井本館の竣工は明治35年(1902年)で、その20年後に起きた関東大震災で甚大な被害を受け、現在の三井本館は昭和4年に建て替えられました。当初は改修する方向だったようなのですが、震災復興の象徴として建て替えられました。この際、関東大震災の2倍の地震にも耐えられるように設計されていると言われています。

建築のコンセプトは、「壮麗」「品位」「簡素」の3つ。外観デザインはアメリカの新古典主義的なデザインを採用しつつ、過度な華やかさを抑制した造形美で「品位」と「簡素」、そしてローマ風のコリント式大オーダー列柱によって「壮麗」を表現し3つのコンセプトを見事に融合させています。

着工は昭和2年で、竣工が昭和4年3月。総事業費は当時のお金で2,131万円、現在の価値に換算すると約1,000億円という一大プロジェクトだったようです。

設計施工は日本人の手によるものではなく、共にアメリカ企業。設計はトローブリッジ&リヴィングストン事務所で、施工がジェームス・スチュワート社。当事は、アメリカの技術に頼らざるを得なかったのでしょうね。

そして設計施工をアメリカ企業に発注したことが、後に悲劇を生む要因の一つになったのです。当事はアメリカ発の世界大恐慌の影響を受け、国内情勢は不安定な状況下にありました。円の価値に不安を抱いた金融機関や企業は円を売ってドルを買い進め、その中心である財閥は民衆から拝金主義の象徴として不満をぶつける対象になっていました。

そして当事三井の理事長だった團琢磨が、本館玄関前で極右翼テロ組織の血盟団によって暗殺されるという悲劇が起きたのです。

終戦後はご多分に漏れずGHQ接収され、竣工から80年の間には暗い歴史もありました。現在でも三井不動産の本社があり、三井家の所蔵品を展示している三井記念美術館も入っています。そして今尚、三井グループの象徴として三井財閥発祥の地である日本橋でその存在感を示しています。ちなみにドラマ「半沢直樹」が勤める東京中央銀行のモチーフにもなりました。

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京都・真如堂

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所在地:京都市左京区浄土寺真如町82

正式名称は「真正極楽寺」で、天台宗の総本山比叡山に祀られていた慈覚大師円仁作の阿弥陀如来を遷座して開創された寺院。室町時代に起きた応仁の乱では、「東陣」が置かれた場所と言われています。

三井家の家祖である三井高利は伊勢松坂(現在の三重県松阪市)の出身で、京都の真如堂に参詣した際に此処を自分の墓所にしたいと希望したことが三井家との由縁と伝えられています。

当時の真如堂は広大な寺領を所有していたので、本坊に檀家を持っていませんでした。しかし家祖高利の遺言で三井家が檀家となり、明治期には真如堂本坊の大檀家になったということです。

三井家代々の墓の他に、2,321人にも及ぶ越後屋の奉公人の戒名を刻んだ供養塔もあるそうです。これほどの数の奉公人の供養をするというのは、当時越後屋が使用人を大事にしていたことの証なのでしょう。

現在では三井グループの中核企業で構成される二木会によって研修道場「真如山荘」が寄進され、「三井二木会物故社員慰霊塔」が建立されています。毎年5月には二木会加盟会社の総務部長が集まって「二木会物故社員慰霊塔追善法要」を執り行い、9月には二木会の会員会社首脳陣が法要を実施しているとのことです。

 まとめ

家祖の三井高利が越後屋を開業したのが1673年ですから、三井には343年の歴史があるということになります。やはり、この歴史の重みは何にも代え難いある種の凄みがありますね。長い年月を経て築きあげられた伝統と格式、それが三井という名が持つステイタスなのでしょう。

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