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NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」ヒロインのゆかりの地探訪

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NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」ヒロインのゆかりの地探訪

大ヒット放送中の人気朝ドラのヒロインのモデルは日本初の女実業家

NHKの人気朝ドラ「あさが来た」は、江戸末期から大正にかけて、大阪の両替商に嫁いだ京の豪商の次女・白岡あさの物語です。まだ女性が経済の表舞台に出ることがなかった時代に、理解ある夫に支えられ、柔らかな女性らしい心と不屈の精神で経営者として炭鉱を経営し、後には銀行や生命保険会社を興し、女子教育のために日本初の女子大を作るまでを描いています。

ヒロインの波瑠さんの聡明な演技、宮崎あおいさん演じるあさの姉はつのどん底に落ちても笑顔で家族を支える健気な姿、そして脇を固める俳優陣の味のある演技で、視聴率は10月半ばからずっと20%を超え、最近は30%にも手が届くかという程の人気です。

このヒロイン白岡あさのモデルは、広岡浅子という明治時代に大阪で活躍した女性実業家です。浅子は後に三井銀行を作る京都の豪商小石川三井家に生まれて、大阪の加島屋一族に嫁ぎました。加島屋で浅子は、筑豊の潤野炭鉱の経営に携わり、1888年(明治21年)には加島銀行創設、1902年(明治35年)には大同生命の創業者のひとりとなりました。そして、女子教育に力を入れるために、1901年(明治34年)に日本女子大学校、今の日本女子大学の設立に尽力しました。

今も残る“あさちゃん”のモデル広岡浅子のゆかりの地をご紹介します。
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大同生命本社/大阪府大阪市西区江戸堀一丁目2番1号

14286474955_44ab10d8f4photo by photo woker.jp

浅子が嫁いだ加島屋(廣岡本家)の跡地に1925年(大正14年)9階建てのビルが建てられました。大同生命の本社ビルで、当時は大阪市西区土佐堀通という住所でしたので今でも旧肥後橋本社ビルと呼ばれています。設計は建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリスが行いました。このヴォーリスはアメリカ生まれの建築家で日本に帰化して日本で数多くの西洋建築を手がけ、関西学院の礼拝堂や明治学院チャペルなども彼の手によるものです。また、余談ですがヴォーリスは実業家でもあり、メンソレータム(現メンターム)で有名な近江兄弟社の創立者の一人でもありました。

さて、旧社屋建設にあたっては浅子の娘婿で大同生命の社長になる広岡恵三がヴォーリスと共にアメリカへ渡り、アメリカの生命保険会社を視察して社屋の参考しました。わざわざ社長と設計者が二人でアメリカへと不思議に思いますが、ヴォーリスは広岡邸の設計を頼まれた際に恵三の実の妹と出会い、浅子の後押しもあって1919年に結婚していました。ですので、二人は義理の兄弟ということになり、仲が良かったのでしょうね。

旧本社ビルは1993年(平成5年)現在の大阪本社ビルへと建て替えが行われその姿を見ることはできません。新しく建った現大阪本社ビルは写真でもわかるように上部を支えるにしてはアーチ状の下部が小さくアンバランスな独特の形状が印象的です。設計はヴォーリズに関係がある一粒社ヴォーリズ建築事務所と日建設計が行いました。この現大阪本社2階にあるメモリアルホールは旧社屋の内外装の一部を使って造られており、当時の雰囲気を楽しむことができます。

あさとはつ仲良し姉妹が育った実家 

あさとはつの仲良し姉妹が少女時代を送った実家、京の今井家。姉妹の父はその後東京で銀行を立ち上げるために京都を引き払い上京し、「今井銀行」を創立します。今井と名前を少し変えていますが、三井銀行のことですね。

当時の三井家は同じ三井を名乗る同族の巨大な企業グループで、京都、大阪、江戸に11の三井家がありました。広岡浅子の実家は、京都の油小路出水という場所にあったことから「出水三井」と呼ばれていたそう、上京して小石川三井家となりました。この浅子の京都の実家跡地には現在は「ホテル・ルビノ京都堀川」が建っています。

大阪の恩人 五代友厚

ドラマではヒロインあさの事業の師であり、秘かにあさを愛し、あさを「ファーストペンギン」と讃えるよき理解者の五代友厚。実際の彼もドラマのように明治政府が東京に首都を置き、大阪の経済が衰退しかけた時に、官を辞して大阪に舞い戻り大阪を復活させた立役者、まさに大阪の恩人でした。五代が初代会頭だった大阪商工会議所や、大阪証券取引所の前には、彼の銅像があることからも、大阪の人たちの彼への感謝の気持ちは伝わってきます。

あさが創立に尽力する日本で最初の女子大学

hirookaasak_topphoto by 日本女子大学

ドラマでは初回に放送された、あさが設立に協力をした女子大学の開校式。洋装姿のあさが若い女子学生を前に堂々と語る姿と、あさを憧れのまなざしで見上げる女子学生たちが印象的でした。実際の広岡浅子も、日本女子大学の創立者の成瀬仁蔵の考えに賛同して大学設立に力を貸しました。そして、女性が男性と同じように高等教育を受けることのできる日本で最初の大学、今の日本女子大学が創設されました。

大学には、建築中の豊明館の前で成瀬や評議員メンバーと一緒に洋装姿の浅子が映った写真が残されています。この豊明館の建物は今はもう残っていません。しかし、成瀬仁蔵を記念した記念館の展示室では創立当時の様子をうかがい知ることのできる学園史の資料等の紹介を行っており、学外の人たちも自由に見学することができます。

まとめ

「あさが来た」は年明けからは後半戦に入ります。これからもヒロインあさのびっくりぽんな活躍が楽しみです。今回ご紹介した大阪、京都、東京にある広岡浅子のゆかりの地を訪ね、明治を駆け抜けた偉大な女実業家の足跡に想いを馳せてみるのはいかがでしょうか。

photo by モデルプレス

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