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【日本史の勉強!?】「住みたい街ランキング」でベスト10に入った鎌倉の魅力に迫る!〜歴史編〜

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【日本史の勉強!?】「住みたい街ランキング」でベスト10に入った鎌倉の魅力に迫る!〜歴史編〜

観光地としての魅力はもちろん、多くの人が住んでみたいと憧れる古都鎌倉。同じ“古都”でも京都とはその成り立ちや背景が異なり、鎌倉独自の文化を育んできました。

京都と決定的に違う点は、遠くもなく近くもない東京との距離。その微妙な距離感が江戸時代から明治、そして今に至る鎌倉の魅力を形成する大きな要因でもあるのです。

九百年という長い時を経た鎌倉、源氏と北条氏による権力闘争やその後の時代の流れによる紆余曲折等々、それなりに色々ありました。

ということで、今回はお勉強を兼ねて現在の憧れの街「鎌倉」に至る歴史の一端をご紹介しましょう。

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鎌倉の歴史は石器時代から?

鎌倉の歴史といえば、源頼朝が開いた鎌倉幕府が起源というイメージがありますよね。しかし鎌倉の歴史は、鎌倉幕府よりもっと古い時代に遡ります。

北鎌倉と大船の中間にある常楽寺(じょうらくじ)裏手の粟船山で旧石器時代の石器が発掘され、1万年以上も前からこの地に人が住んでいたことが明らかになっています。

更に、縄文時代、弥生時代・古墳時代の遺跡・遺物も見つかり、一般的なイメージを遥かに超えた古い歴史が鎌倉にはあるのです。そして鎌倉は、幕府成立以前から源氏に縁のある土地だったのです。 >>マンションを買うなら知らないと損するサービスとは?

鎌倉は元々東国における源氏の拠点

6a50718a0ad6992bd06875ab819eb9d0_s源頼朝が平家打倒の拠点として鎌倉を選んだのは、三方を山に囲まれ海に面している要害の地という理由だけではないのです。実は頼朝の時代から百年以上も前から、鎌倉は源氏に縁のある土地でした。

鎌倉と源氏の縁は、頼朝から五代前の源頼義の時代に遡ります。源頼義は、平安時代後期の1028年に房総三カ国(今の千葉県あたり)に起きた「平忠常の乱」を平定し相模守となりました。そして鎌倉に居を構える平直方の娘を妻に迎え、嫁の実家である鎌倉の屋敷を譲り受け東国支配の拠点にしたことが始まりです。

そしてその後、1051年に反乱を起こした陸奥(現在の福島県、宮城県、岩手県あたり)の安倍頼時・貞任を征討するよう朝廷の命を受けました。これは「前九年の役」といって、随分前ですがNHKの大河ドラマ「草燃える」に描かれたことがあるのでご存じの方も多いでしょう。この前九年の役における東の拠点もまた、鎌倉だったのです。

源頼義が出陣の折、源氏の氏神である京都の岩清水八幡宮で戦勝を祈願し、勝利を収めた後に石清水八幡宮の神霊を鎌倉に勧請し由比郷に社殿を建てたのが鶴岡若宮神社。そして、頼義から五代目の子孫である頼朝が、小林郷北山に社殿を遷したのが現在の鶴岡八幡宮です。つまり鎌倉は河内源氏の東の拠点であり、氏神様によって守られた神聖な土地だったということですね。ちなみに河内源氏というのは、河内国(現在の大阪府の一部)を本拠地にした清和源氏の流れをくむ源氏の系統。一般的に「源氏」と呼ばれる武家は、河内源氏を指します。つまり河内源氏は、武家の本流ともいうべき家系ということですね。

実は鎌倉は因縁深い心霊スポット!?

今の鎌倉におけるアイデンティティーは、鎌倉幕府時代の栄華がそのまま今に引き継がれた結果によるものではないのです。

新田義貞によって滅された後、足利尊氏が室町幕府を開いてからの鎌倉は急激に衰退し、ひなびた漁業と農業の村でしかありませんでした。

実は、北条家が実権を握っていた鎌倉幕府を討伐した新田義貞、そして後に新田義貞を打ち破って室町幕府を開いた足利尊氏の二人は、共に源氏の血統なのです。

鎌倉幕府を開いた源頼朝は河内源氏の本家筋で、新田と足利はその分家。つまり、それぞれが親戚同士ということです。

河内源氏の本家が開いた幕府を嫁の実家である北条に乗っ取られ、それを百五十年後に源氏の分家である新田義貞が滅ぼしたわけです。

更に別の分家である足利尊氏が、新田義貞と親戚同士の抗争に勝ち抜いて室町幕府を開いたという構図ですね。何やら、因縁めいた歴史でしょう。

宗教的な素養を持っている人たちの間では、昔から鎌倉には“化け物”が棲んでいると言われていました。それは、そんな因縁めいた権力抗争の歴史があるからなのでしょう。

詳しい歴史の背景は知らなくても、霊感の強い人には分かるのでしょうね。

鶴岡八幡や周辺の神社仏閣はポジティブな意味での心霊スポットとしで人気がありますが、鎌倉には知る人ぞ知るちょっと怖い心霊スポットも多く、マニアには人気がある土地柄なのです。

ノーベル文学賞作家の川端康成の邸宅が鎌倉にあったのですが、家の裏山には何やら怪しい雰囲気が漂っていたそうです。

鎌倉が人気の街になった経緯d4d34ae32f6bf11576af8097dc7de6b4_s鎌倉幕府滅亡後に一旦寂れかかった鎌倉ですが、江戸時代になると観光スポットとして注目されるようになりました。その仕掛け人は、黄門様でお馴染みの徳川光圀。

彼が編纂した「新編鎌倉誌」がきっかけのようです。そして江戸時代中期、時の将軍徳川家斉による鶴岡八幡宮の再建により、参拝客が増え鎌倉は再び息を吹き返しました。

その後、明治21年に横須賀線の開通し、別荘地として多くの政治家や財界人、文化人に好まれる人気エリアになり急速に発展していきました。

そして、鎌倉は数々の文豪たちに愛された街でもあるのです。

鎌倉を舞台にした川端康成の「美しさと哀しみと」や「千羽鶴」、島崎藤村の「春」、夏目漱石の「門」などの小説が、読者の心に「鎌倉ブランド」を植え付けるに十分なきっかけになりました。

また映画や人気ドラマ、アニメの舞台にもなり、若者を含めた多くの人々が憧れる街になっていったのです。

近年では2012年の1月から3月に放映されたテレビドラマの撮影に、松尾鎌倉市長を始め市役所が街のPRになると全面的に協力しました。それまで鎌倉市役所としてドラマなどの協力は断ってきたそうですが、出演者やスタッフの「ドラマを通じて、鎌倉の魅力を伝えていきたい」という気持ちが伝わってきて方針が変わったようです。

当初は市長が周囲の反対を押し切った形のようですが、結果的には鎌倉の魅力を全国の視聴者に伝える効果があったみたいですね。

そして、人気女優が個性的な四姉妹を演じる「鎌倉」を舞台にした映画がヒットし、その影響で益々鎌倉を訪れたい、または住みたいという人が増えたようです。

映画に描かれた自然豊かでほのぼのとした鎌倉の風情、その中で暮らす四姉妹の姿がとても魅力的だったようです。

まとめ

遙か昔に権力の中枢にあり、数々の神社仏閣の名刹がある古都鎌倉。そして、明治から昭和にかけて各界の著名人に愛され、独特の文化を育んできた街でもあります。

特別な高級住宅街というわけでもなく、かといって東京下町の風情とも違う。庶民的ではあるけど、どこか上品な空気が漂う街。それが長い時を経て育まれた、鎌倉の魅力なのでしょう。

次回は、鎌倉のグルメを地元民という視点からご紹介したいと思います。お楽しみに!

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